2013年4月アーカイブ

綜芸種智院は、弘法大師がすべての人々に学びの門を開くため828年に創設された日本における事始めの学校である。昔お坊さんの大きな集まりの中、真言宗関係のどこかの校長をされた方が壇上に立って「そうげいしゅちいん」と語って大恥をかいたそうである。昔の漢字は、読み方が難しい。

 

種智とは梵語の般若波羅密からなずけられたものであろう。その意味で智慧の塊の大学と理解することも出来る大学だ。

 

即ち人間の本質を問い、なぜ人間としての私がこの世にこの時空間に誰それの子として生れたその理由を解き、教え、人生全体を修行の場、道場、人間の人格と霊性と神性の向上「十合目が神仏」のために、輪廻転生を繰り返しこの世に誕生したことを追及できる数少ない世界の中の大学であると表現することもできる。

 

この目的が建学の精神か。

 

 

23日は種智院大学の聴講生として密教学を学びに行く。仏教大学修士課程を修了して約40数年ぶりの学生気分である。周りには学生たちと相当年配の女性の方が2人、40才代の男性も数人おられた。全体で40名前後か?授業は北尾先生の密教瞑想である。なかなかの博学の方で本講義は密教瞑想に至る準備としての密教行法の考え方の講義であった。

 

密教瞑想とは精神統一ではなく座禅でもない、本尊大日如来の三密を行じる人間側の我々がいかにしてその仏様の行為を真似るのか、さらに仏様の心とするのか、仏様と波長を合わせるのか、波動共鳴していくのか、仏様をいかに認識し、構築するのか、我が仏か仏が我か、仏様の中の我、我の中の仏様、我とは我であり、自己であり、自己とは肉体であり心であり意識であり空であり大日如来でもある。

 

宇宙存在の御心を自我がいかに表現していくのか、様々な表現ができると思うが、要するに自己の密教感、自己の人生感の確立そのものが密教瞑想法に繋がるということである。

 

人間は死んで死んで死んで自己の行く先を知らず、生れて生れて生れて自己の出生を知らずという空海上人の伝言があるが、これをj解決するのが密教瞑想の目的でもある。

 

人間のカルマとは実に不思議なものだ。幼少の時に46歳で亡くなった実父は、昔の東寺中学の卒業生である。四国23番薬王寺の3代前の住職・坂東覚信上人の弟子であった。

 

薬王寺には、祖父源吉の命で上人の弟子になったと聞いている。3代前の住職は東禅城上人即ち母方の曾祖父である。その孫が65歳にもなって初めて本格的に密教を学ぶのであるから御先祖からは何らかの応援があるであろう。但し、亡き父の遺言は「栄ちゃん(私の幼名)坊さんだけにはなるなよ・・・・」だった。どんな因縁と過去世がそれを私に語らしめるのであろうか。

 

薬王寺は、海民の軍事基地でもあった。日和佐の町が出来たのは鎌倉時代以降であり、何回も埋め立てをしてできた町である。その薬王寺が23番の札所になったのは、江戸時代以降であり、弘法大師とどこかの上皇さんは全く関係のない創り話であると言う事を叔父からよく聞かされた。

 

叔父によると、学者は良くそのものを調べないで、時間の関係ででっちあげると言う。これは、税金泥棒の一部の政治家、官僚と同じ発想であるとも聞かされてはいた。

 

この詳しい研究は叔父・東義照の「日和佐物語15巻」に詳しく書かれている。機会があればネットにあげようとも考えている。

 

4月10日から16日まで故郷へ帰り墓参り、海の行、叔父のお寺での大掛かりな部屋掃除を済ませた。

 

今年は特に寒い、南国日和佐でも夜は電気こたつをするほどだった。今までにない低温である。地震でも起こるのかなあと思っていたら12日か13日の朝5時半頃地震だった。すでに起きていたので地震の音をはっきりと聞くことができた。

 

ドドド-ンという音と共に家が上下に揺れた。縦揺れの地震だ。びっくりして外に出た。しばらくして町内放送があった。大地震です、大地震ですと2回だけ。津波の心配がないかと思い車で大浜海岸まで行った。何ともなかった。

 

海行は浜の上から又海の中に入って、数日間続けた。最終日には海の中に入って、行を終え砂浜に戻ってきたら、いきなり私の目と鼻の先まで鷲が私をめがけて急降下した後、すぐ上昇し、空の上の方で大きく大きく旋回をした。

 

行中には様々な現象が起こる。水色の心が澄み切るほどの色光を持つ光の玉をまじかに見たり、海の中で見たり、急に強風が吹いて来たり、波が高くなってきたり、鷲がとんできたり様々な現象を神様サイドは見せることがよくある。其々の現象にすべて意味あり。

 

久しぶりにお寺で母方の従兄と会い、様々な話をすることもできた。

 

京都に帰り17日は夜、大阪森ノ宮神社の陰陽師塾セミナーにでかける。7時15分から始まり10時前までしゃべり続ける。我ながら実によくしゃべると思う。しゃべっていると新しい発想が生まれてくるので疲れるという感覚は殆どない。

 

20日は施主から依頼を受け、南山城での地鎮祭である。地鎮祭の特徴はその場に産土の神様と地鎮の4柱の神様を呼ぶことができるかどうかが鍵となる。

 

それには、アメノカタニワ・クニノカタニワが認識、理解されてなければその実践は難しいこととなる。

 

本年は、五黄中宮の年だから特に地鎮祭が必要だ。又今年は陰陽どんな事でも起きかねない、変革重大な年でもある。

 

23日は種智院大学の聴講生として密教学を学びに行く。仏教大学修士課程を修了して約40数年ぶりの学生気分である。周りには学生たちと相当年配の女性の方が2人、40才代の男性も数人おられた。全体で40名前後か?授業は北尾先生の密教瞑想である。なかなかの博学の方で本講義は密教瞑想に至る準備としての密教行法の考え方の講義であった。

 

密教瞑想とは精神統一ではなく座禅でもない、本尊大日如来の三密を行じる人間側の我々がいかにしてその仏様の行為を真似るのか、さらに仏様の心とするのか、仏様と波長を合わせるのか、波動共鳴していくのか、仏様をいかに認識し、構築するのか。

 

我が仏か仏が我か、仏様の中の我、我の中の仏様、我とは我であり、自己であり、自己とは肉体であり心であり意識であり空であり大日如来でもある。

 

宇宙存在の御心を自我がいかに表現していくのか、様々な表現ができると思うが、要するに自己の密教感、自己の人生感の確立そのものが密教瞑想法に繋がるということである。但し、言葉の理解と実践後の理解認識はまた別次元だ。

 

人間は死んで死んで死んで自己の行く先を知らず、生れて生れて生れて自己の出生を知らずという空海上人の伝言があるが、これをj解決するのが密教瞑想の目的でもある。

 

人間のカルマとは実に不思議なものだ。幼少の時に亡くなった実父は、昔の東寺中学の卒業生である。四国23番薬王寺の3代前の住職坂東覚信上人の弟子であった。

 

薬王寺には、祖父源吉の命で上人の弟子になったと聞いている。3代前の住職は東禅城上人即ち母方の曾祖父である。その孫が65歳にもなって初めて本格的に密教を学ぶのであるから御先祖からは何らかの応援があるであろう。但し亡き父の遺言は「栄ちゃん(私の幼名)坊さんだけにはなるなよ・・・・」だった。どんな因縁と過去世がそれを私に語らしめるのであろうか。

 

薬王寺は、海民の軍事基地でもあった。日和佐の町が出来たのは鎌倉時代以降であり、何回も埋め立てをしてできた町である。その薬王寺が23番の札所になったのは、江戸時代以降である。

 

この詳しい研究は叔父東義照の「日和佐物語15巻」に詳しく書かれている。機会があればネットにあげようとも考えている。

 

 

 

 

 

何事を成すにも人間界にはそのレベルがある。

そのレベルを数霊で表すと9段階となる。剣道でも空手でも合気道でもその段階の技しか使えない。

だからここに修行の意味合いがある。

 地鎮祭についても同じでこれから述べることは、数々の地鎮祭の体験を通して、自己に問うためその問題点のみを羅列してみよう。

問題意識を極めるとおのずから答えが表れ、開示される。

 

 

1.地鎮祭の神様はどなたであろうか?

 

2.土地を鎮めるということはどういうことか。真に「土地を鎮める清める」ということはできるのであろうか。どのような結果がでたら地鎮祭を修したことになるのか?

 

3.清めんとする土地のほぼ中央に正四角形を組み青竹(斎竹)を4本たて、その回りにしめ縄をはり四垂を16本つけるのであるが、なぜこのような事をするのか。

三角形、五角形ではだめなのか。竹ではなく木ではだめなのか、その違いはどこにあるのか。

昔からそのようにやられてきたので、その先人の知恵を受け継ぐだけ。べつに理由はない。このような考えはもってのほかである。青竹を用い、四角形を使い四垂でを使う原理を知る必要がある。即ちその原理とはアメノカタニワとクニノカタニワの関係だ。

 

4.大麻(おおぬさ)で土地の穢れを祓えるのか?土地の穢れの正体は一体何なのか?

 

5.奉書を小さく切り、麻を小さく切りその中に塩を入れて、それを清めんとする土地の四隅に蒔く行事があるがこれで土地の穢れが払えるのか。払えるとすればなぜ払えるのか。

 

6、地鎮祭と産む土地の神、産土神、氏神さらに国魂の神さまは地鎮祭でどのような役目をされるのか。

 

・地鎮祭はその土地をお祓いし清めるにあたってきわめて大切なお祭りである。だからそれを修するもののレベルが大変重要となる。ちなみに日本の国土を払え清める役目が天皇と斎王だ。

斎王はスメラミコトの代理の役目をするものだ。だからその意味で斎王は女性のみでない。

神龍師と小泉太志命は神様に代わり天皇にお仕えした偉大なる斎王である。

 

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