2011年10月アーカイブ

平成23年9月24日(土)午後2時より第18回日本雅友会定期公演会があった。場所は、大阪国際交流センターである。近鉄大阪上本町まで行きそこから約10分で交流センターにつく。大阪まで雅楽を見に行ったのははじめてである。

 

      曲目

      第一部  管絃

        太食調音取・催馬樂 伊勢の海 輪鼓 脱

      第二部  なにわ神楽

        大里・鉾の舞

      第三部  舞樂

        左方舞  打球樂

        右方舞  延喜樂

        長慶子三度拍子

 

第一部から第三部すべてを見たが、全体的には伊勢神宮の神楽殿或いは、春日大社で神楽を見学したときのような感動はなかった。雅楽は、神迎え、神遊びの要素が曲の中心となるものである。だから、人間がそれを見る場合その人の心に感激感動感謝喜びなどの感情が、湧き出てこなければ、そんなものは雅楽でもなんでもないといえるのでなかろうか。全体的に雰囲気が暗かった。すかっとしたものを感じることができなかった。少なくとも私にはそう感じられた。

 

その場に力強い天女のような「あめのうずめのみこと」が御降臨なされたらどのような舞になるのであろうか。どのような調べになるのであろうか。いわゆる雅楽は、鎮魂でない。雅楽は帰神である。そこには命の燃焼がなければならない。燃える水、流れる大気、せせらぎの声、如何に大自然の命の躍動を神様の側から人間に伝える。

 

そうゆう雅楽が存在するのではなかろうか。要するに神がかり的な要素を持つ人間が創作した調べではない音調を持つ雅楽の舞である。

      

帰りに国際センターを見学した。様々な国との国際交流を促すイベントのパンフレットがおいてあった。そこには、インドネシアとの交流を活発にしようとしている橋本知事の写真つきのコメントがあった。いわゆる文章にはのっていないが、バリ島のことである。符号が一致した。二つ目の符号であった。

 

 

 

 

 

 

一般の市民感覚を裁判に導入し、検察が、逃がした裁判にメスをいれていくという検察審査会による2度の強制起訴で始まった戦後初めての裁判が、この裁判の重要課題かつ、その特徴でもある。争われるポイントは、2つあるという。一つは、虚偽記載。2つ目は、秘書3人と小沢氏の共謀であるという。

 

副島隆彦氏に因るならば、検察も、検察審査会もマッカーサーGHQが、戦後日本に創ったアメリカの利益追求(アメリカの為にならない情報等々)を取り締まるためだと彼は語る。この彼の眼は、未来を見通す目と世界の歴史認識を的確に掴み取る眼をもたれていると実感する。私も彼の著書から、世界を正しく見つめる方法を教えられた。

 

他にも、宇野氏、森田氏、増田氏、青山氏等の日本の「民」に正確な情報と真実な眼を、智、情、意の三点から伝えておられる真の武士(もののふ)というべきか、日本を憂うる情の人がおられる。このような方によって、この日本という歴史と伝統のある国家を使い、自己の名誉と欲望を追及せんとする政治家、政界人、官僚、財界人の「だましとウソと真実」を、我々、日本人は、「その正体・実態・バック」を正確に知ることが出来よう。

 

あの手、この手を使い、小沢氏を有罪にして最大の利益を被るのは、一体誰(国、団体、個人等々)なのであろうか。

検察審査会という正体不明な10人か11人か知らないが、それに選ばれた(選挙で選ばれたのか???)人々も、この機会を使って、

日本の戦後政治を、正しい眼を持って学ばれることを期待する。

 

来年4月まで続くこの裁判中にも、日本近海の島と自然エネルギー(いや、日本そのもの)を淡々と日本の情勢をド真剣に分析し、解析し、自国の利益誘導のために、狙っている民族がいることを。この国の大地、空気、海、水、御先祖が命がけで培ってきた民族の伝統等に支えられて、自己が、父、母(過去世)を縁として、日本を良き方向へと動かすために生れて来たことを。

 

心(魂)の底より知ること。その位置より始めると、その人の深く激しい歴史(心と魂)が動き出し、命が燃焼し、日本人として生れ、この日本と地球の国難に光をあてるために産まれて良かった。人生に悔いなしという自覚が、「一人一人」に生まれるのではなかろうか。

 

21世紀という時代は、救世主により救われるという時代ではない。この為にみんなでがんばろう。閻魔大王を前にして、一戦交えることが出来るように。

 

 

私の故郷は、阿波の徳島である。阿波の国の歴史は奈良よりも古く古事記に書かれている神々を祀る神社が、全国一多い国である。そこには第5代天皇を祭る全国で唯一の神社もある。国道55号線を通り、徳島市から南下すると途中に阿南市がある。阿南市を通る55号線の右側に幸福の科学の道場が見えてくる。

 

大川隆法のお父さんは、GLAの創始者高橋信次氏の幹部の一人である。隆法さんもこのお父さんについて様々な事を学びかつ鍛えられ実践したのであろう。

 

本日の朝、大川隆法の第講演会のチラシが郵便受けにあった。12月6日に全世界衛星生中継で2011年エルカンターレ祭が開催されるらしい。チラシによると、2010年は、ブラジル講演会、2011年はインドブッダガヤ講演会とフィリピン講演会が開かれて黒山のような人々が参加されたらしい。

 

 12月6日の講演会には、精華町のけいはんなプラザが衛星生中継会場になる。約20年前に私は、高橋信次氏、大川隆法のお父さん、又大川隆法の著書約20冊ぐらい読んだ記憶がある。私が住む街、精華町のある幸福の科学の信者さんの自宅でお話があった時に、一度だけその会に参加したことがある。

その時の印象では、この会の方は、なかなか論理的、理性的なことを言われる方が多いとの印象を持った。ただ、人間的な発想では私が追及する私の問題は解けないので、それ以後は参加する必要がなかった。

 

チラシには、1956年7月7日徳島県生まれとなっている。さらに81年、大きな悟りを得て、自らが再臨の仏陀であり、人類救済の大いなる使命を持つエルカンターレであることを自覚する。86年、幸福の科学を設立 著書は、700冊を超えるとある。

 

彼の誕生日がわかっているので、そこから彼が持つ独自なエネルギーを推理することが出来る。時間がかかるので調べることを楽しみとする。

 

平等性智の智慧の世界から語るならば、大川隆法も仏陀もキリストも近くのおじいちゃんもおばあちゃんも宇宙のエネルギーによって生かされている人間の一人にしかすぎず、いかなる聖者も仏様の手のひらの世界からでることができない孫悟空と同じ存在である。

  

 森の落ち葉一つ作ることができず、富士山、大海、周りの木々も作る事が出来ないのが人間である。大自然界から命を頂き、生かされている小さな小さな命しかもたない人間がなぜ再臨の仏陀であり、人類救済の大いなる使命を持つと表現されるのであろうか。

 

私も高校時代には、生長の家で肉体的な苦痛は、ぶ厚い生命の実相20巻を読破することによってなくなり、肉体的には救われたが魂しい的な救いはまだまだであった。魂しい的な救いとは、自分が何のためにこの時代、この日本に、この阿波の国に ウミガメが年間200頭あがってくる近くの南海の小さなスサノオの神様の島(出羽島)に生れたのかという、その理由が知りたかった。しかも40歳の母は、私を産みその2日後に他界したというその理由も知りたかった。その原因と理由である。

 

こういう自覚がないまま高校生の私は、生長の家こそ世界を救う御おしえであると信じて疑わなかった。その自覚は、ふり返ると、富士山の上に登り頂上に立つのが修行の完成とするとまだまだお山の一合目までの自覚であった。聖者を信じるということは、その程度である。

 

人間は、神より与えられたみたまがある。それが人間の中に眠っている。その御霊が発動されてくると、その人間は、その神様が持つ個性と同調し、そのような自覚と力がでてくるのである。そのような意味で、宗教は本来「一人一宗」「自己を救うるものは自己」であり、こういう自覚は、富士山を登るにあたっての6合目ぐらいの自覚である。

 

その自覚に立つと、大川隆法大いに結構、しかし「あなたの命」は大川隆法が創られたたものではないという自覚があれば、すべての宗教すべての聖者の教え大いに結構ということになってくる。

 

ただし、教えでもって人は救われない。教えの実践でも人は救われない。自己のミタマの役割と自己のミタマの親神が立つお山、あるいは海、あるいは星を知ってこそ、初めて、その人は魂しい的に救済されるのだとつくずく思う今の私だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月14日に関空を朝の8時半に経ち、一路バリ島へ。この計画を立ちあげたのは、改革の星を持たれている森の宮の宮司さんである。

 

彼は、下見のためバリ島へ飛んで一向のバリ島行きがスムーズにいくように下見をしてくださった。そのため、我々は日本から参加した日本人7名とマレーシアから参加した日本人3名は、丸尾兄貴の自宅で3日間にわたってのレクチャーを受けることができた。

 

14日の夕方ガルーダ―空港に着く。バリ島の大きなホテルに泊まる。夕食は、森の宮の宮司さんの案内で町に出て日本人が経営する寿司屋に行く。(中略・その2で)

丸尾さんは私より約20歳の年下であるが、そのエネルギーは日本人離れをしており、現地に渡って18年間で会社を20以上も設立し、現地の人の雇用5000名。その上、子ども達の教育にも携わっておられた。

 

このような大きなエネルギーを持つ青年には今まで出会ったことがない。たぶん、大本教の出口聖師も大きなエネルギーで人を引きつけていったのであろう。そのような姿が彼にはあった。

 初日は、歓迎会をしてくださった。日本でいうならば小学生と中学生の男女における神様の舞バリダンスで迎えてくれた。ダンスの最後には年上の15歳ぐらいの女の子の踊り子が我々参加者の一人一人手をとって一緒に踊ってくれた。私も彼女と一緒に二人で踊った。楽しかった。

 

バリ舞踊は指先、両目、首、足腰、いかに振動させるか、その組み合わせで成り立っていると私は実感した。要するにヒンズー教の女神の舞である。世界には様々な踊りがあるが、バリの舞踊が一番神々しいのであろうかそのように思えた。10名の参加者は踊りに堪能した。

 

レクチャー3日目 即ち最終日の夜の出来事

 

午前1時すぎ、参加者の半分が名古屋の若者が経営するバンガローの宿舎に帰った後、丸尾兄貴を含め5人で約1時間レクチャーを受けた。

私が質問した。

 

私: 「玄間の門の左右の二つの柱にかかっている神像に、丸尾さんの顔がよく似ていますが・・・・・・・」

丸尾兄貴: 「あの像は、ビシュヌ神です。私の妻が信仰している・・・・・・・」と言いながら彼が着ている半袖の黒いシャツ、そのシャツの左上には菊の御紋の刺繍がされていた。そのシャツをぱっと腕まくりして、腕にほられているビシュヌ神を私に向かって見せてくれた。

その時、はっとした。ひらめいた。宿に帰ってそのひらめきについて詳しく調べてみた。私流の結果はこうだった。

 

彼のミタマは、シヴァ神のミタマ。シヴァ神は破壊と創造を司るインド神話の神様だ。さらに、その親神がまします御山は、バリ島の最高峰アグン山であることが理解できた。奥さんのミタマは、聖なる水の神ビシュヌ神だとこれも理解できた。

 

人間的には、人間界から見れば、日本からバリ島へ渡りいろいろなことがあって、丸尾兄貴は人間として経済的な成功を収めたわけである。神様側からみれば、日本から彼をバリ島に呼んで、バリ島の人々の生活水準を彼の力によって向上させ、さらにバリと日本を開くため、日本とバリの文化交流を深めさせるという設計がなされているのかもしれない。

 

これを書くにあたって思考が混乱してきたので、「チべタンベル」を鳴らしつつその音波で光の柱を創り、自己の意識を清めながら、「上」に発表してもいいですか?と聞きながら、この文章を書いている。このような文章の書き方は久しぶりである。

 

このような事は本当であろうか。これを関西弁でいうと「ほんまかいな」???ということになる。

とにかく、丸尾兄貴がもつ何ともいえない人を引き付けるエネルギーというか、人間的親分的魅力というか、それに打たれて頭がしきりに下がる思いだった。帰りに彼が席を立った時、こちらの方に歩かれて、「スサノオさんの事を一言」言われたので、「ああ」さすがに彼も知っているんやな―と私も心の中でつぶやいた。

 

 

ビシュヌ神の神像を飾っている玄関から丸尾兄貴と我々4人が門を出た。彼と両手で握手し、顔を彼の方に向け歩きながら手を振って帰った。5mほど歩くと、なぜかしら彼の方に振り向き、深々と「一礼」してバンガローに帰った。

 

全く日本人の素晴らしい人間がバリにいたものである。これから日本とバリの文化的な交流が始まるのであろう。現実的な行動をなかなかとろうとしない私も、バリから帰ってきて何かが変わったようである。続きは時間の経過を見ながら書いていきたい。ひとまずこれで終わりとする。

 

 

日本の神々、バリの神々、丸尾兄貴、龍二さん、司さん、いろいろありがとうございました。さらに、森ノ宮の宮司さん、第一期生の9人の仲間たちとの今生のご縁を大切にして、今後のバリとの交流に心を傾けていこうと思います。重ね重ねありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

画面の指示によりプローラーを8から9に変えると同時にセキュリティ―を変更したら、とたんにすべてのタイトルバーが英語となり、ブログの記事が書けないという変な現象が起こった。

 友人に聞いてもなかなかわからす、苦心の末にやっと元に返ったのが3日前である。だから、ブログを書きたくても書けなかった。原因は、プローラーを8から9に変えたのが、それであった。

 

会社は、そのような事を事前にコンピューター上で連絡する必要があるのではないのか。今の政治と同じように一方通行では様々な問題が

起こってくるので要注意である。今2ヶ月ぶりにブログが書けるようになったのでめでたし。 めでたし! 

 

 

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