2011年5月アーカイブ

5月5日夕方5時25分は私(人間)をこの世に誕生せしめた神々ともいえる宇宙意思に直通する1年に1回の時間帯である。

 

この日に三十八神社の磐座の前に座り、三十八神社の発展と氏子さんの繁栄と私の天命成就を祈願した。即ち、輪廻転生を繰り返してきた私のミタマから、宇宙に向かってある種の設計図を成就するための共振現象とも云える電磁波発信のお祭りである。

 

 

仏様の智慧の一つに大円鏡智となずけられた智慧がある。大円鏡智とは、宇宙の一切を、自己の鏡(魂)に映し出すことができる智慧だ。菩薩が修行を終え、第十地に到達すると、宇宙の様々な現象を統括する智慧の世界に入我我入する。そこで菩薩も修行を終え仏となることができる。

 

即ち、そこには人間の成仏法なるものが示されている。この意味において、あらゆる宗教の開祖、教祖達は、大円鏡智を開くことを目的とし、いずれの開祖も菩薩の初地から十地までのレベルにあられるということがわかってくる。

 

 

誕生日は、この世における人間の生涯の設計図を顕わし、その誕生日から秘められたる力を読み取ることが出来る。子供達の誕生日を調べると、その子どもの持つエネルギーの特性がわかり、この世に何をしに生れてきたのかと言う一見、不可思議なエネルギーの輪郭が解りだす。

 

 

そのような智慧を持つご両親ならば、イチローを育てたお父さんのように、子供の全エネルギーを小さいころから引き出すことができる訳だ。一郎も素晴らしいが、それ以上に彼を育てたお父さんが大きく素晴らしい。誕生日を紐解くと、子どものエネルギーの方向性が解る。子どもは、天才に近づき、人生が生きやすくなりウツ病を否定する光の方向に動き出す。

 

 

エネルギーの方向とは、例えば、文科系・理科系・美術系・音楽系・技術系・スポーツ系・学者肌・政治家向き・サラリーマンとか金儲けがうまい商売系とか様々である。

 

即ちその子の持つ潜在エネルギー(過去世より生き死にを通して積んできたエネルギーと癖そのようなもの)が全てわかるから、小学校3年生頃よりその方向に鍛えれば、必ずや一族のため、世のため人のため、その子は自分の人生を開き、この世を去る時にはニコッと笑い周りに感謝死んでいける人間に必ずなると断言できる。

 

少し飛躍するが、ブログではかって、小沢さんと菅さんの誕生日から四柱推命で2人の持つエネルギーを見たことがある。菅さんは番頭さん。 小沢さんはその社長というところだ。民主党の悲劇は、番頭さんが社長となり、sengoku38さんと組んで社長を追い出してしまったところに根本原因がある。

 

 

かっての王家が統括する日本政治では、このようなことは決してなかった。奈良平安朝時代は、そのために大きな陰陽寮がおかれ、その中に星見(天文)がおかれ、政治に司る人のエネルギーを見たのである。

 

神社における初宮参りの時に、古代においてはその子のもつエネルギーの方向性を、祖父母と父母達は、神官から聞かされたものだ。七五三の時は、その方向に子供が育っているかどうかの確認に行くために、七五三参りという行事が編み出された。

 

これは素晴らしい叡智の世界からの贈り物だ。そして、子どもの成長の為には、両親の力に更にお爺さんとお婆さんの力も必要であるということも解り出す。

 

そのようなことは、現在では、形のみとなり、その存在意義が失いかけているので、再度復活せしめる必要がある。それは、日本民族のより良い発展進化ためである。神社においても、奈良朝奈良時代には神からのメッセージを受けるという目的で、幽祭が行われた。今は、ほとんど幽祭はなく、顕祭のみになっている。

 

天皇家におかれては、この幽祭の流れが連綿として受け継がれている。だから、天皇家は権力で時の世を治めるのではなく、日本国民のための権威が、神々との交流、即ち幽祭から生じるのである。だから、世界にはさまざまな王室、皇室が存在するが、その中でも日本の皇室ぼどお祭りを大事にされる王家はないのである。

 

 

私の大学時代には、文学部、社会学部、理学部、工学部などの学部があったが、今はやりの人間学部はなかった。人間学部の目的は、人間の特徴、適正などを見る学部だ。即ち人間研究の学部だ。その中に古神道系の学問がなされないのは何故であろうか???

 

古神道の目的は、徹底的な人間研究である。即ち人間と宇宙の関係。人間と神々との関係、人間と国家の関係、人間とその一族との関係、人間と社会の関わりの追及等々を学ぶ生涯をかけての学問である。

 

神国地球、神国日本において神道系を学べる大学が二つしかないという現実、これもこの時代の大きな利権が絡む原子力行政と同じようにおかしな話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月1日海神神社と磐座そして耳成竜神大神の三社の祭りを執行する。まずは、海神神社のお祭りの場合は祓い祝詞奏上の時に霊風が吹いてくる。いつもそうである。ここからお祭りをすれば、その波動は、太平洋へとつながると言うとても重要な神座の一つである。

 

次は、社務所の横にある小さな泉のお祭り。 ここはご神水の場所だ。三十八神社のご神水は、大腸と肝臓、膵臓に効力があるらしい。今年になってご神水が増えだした。

 

次は磐座のお祭り。

 

 ここは正確に言えば、ムー時代の磐座即ちグリッドである。その時代は、磐座は花崗岩のまぶしい光を発していたらしい。次は神池にまします耳成竜神大神のお祭り。 この場所は、田に水をやるため池として作られたが、土手の上でお祭りをし、拍手を打つと、その音が回りにこだまし、数十倍になってはねかえってくる不思議な場所である。一度体験されるとよい。1日のお祭りを終えて、一路、春日大社の境内にまします金龍神社へと車を走らす。

 

金龍神社は、春日大社の境内にある三十八所神社の近くにある。今回のお祭りでわかったことは、三十八所神社は古来三十八神社と呼ばれていたことが判明した。春日大社の口伝によれば、春日の本殿と春日若宮と三十八神社は宮司しか祭りができないとのことである。その訳は???

 

15年以上前に、春日新嘗祭に参加した時、本殿で私と新潟の春日神社の宮司さんの二人が、玉串奉奠した時がある。そのあと直会があり、禰宜さんによって春日の口伝について説明があった。三十八神社の氏子さんもこの話によって、春日大社と三十八神社の結びつきがよくわかったらしい。

 

その後、私が調べると三十八神社の大元は、阿波の国にましますことがわかった。これを一つの起点にしていろいろなことを調べると、阿波の国、 奈良、そして皇室と阿波の国の重要な関係が浮かび上がってくる。

 

次に金龍神社でのお祭り。 この場所の横にはかって、御醍醐天皇が御鏡を奉斎してお祭りをした場所があり、りっぱな石碑がたっている。石碑の文字は、花山院宮司の書体である。御醍醐天皇は、天皇にして政治家且つ優れた霊能者だったらしい。

 

古代の天皇は、すべて、ある種の未来が読める秀でた能力者であられた。今の、チンタラチンタラして、未来も読めず、国家観も無い唯物論者(左翼系)の政治家とはわけが違う。日本が持つ底力と言うか素晴らしさは、そこに見られる.

 

 

石柱を取り囲む周りに建てられた小さな石柱には、南朝の側近の方々の名前が印されている。祭りの終わりごろに、大きな大きなカラスが舞い降りてきて、神社に向かって右手後方の灯篭に止まったという。私も祭りが終わって振り返るとまだそこにおられた。地鎮祭のお祭りをしていると、よくいろんな鳥が飛んでくる。私の地鎮祭の特徴の一つである。

 

 

金竜神社での祭り祈願が終り、次に石碑の前で祈っていると、やはり大きなカラスがどこともなく飛んできて、右手後方の木の上に止まられた。再度である。カラスは香良洲大神のお使いだ。いろんなことがあって、春日大社を後にした。機会があればもっと詳しく述べてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月4日は予定通り、三十八神社参拝から伊勢に行く。3時半起床、奈良大安寺へ5時集合だ。 まずは、三十八神社へ行く。今回は5人で行く。その中の一人の女性は、かなりの方で、神様のお言葉を正しく出せる方である。

 

三十八神社につくと空気が光を帯びる。すがすがしい大気である。海神(わだつみ)神社でのお祭り開始。祓い祝詞奏上から始める。そこで、女性の方が神がかりし、お言葉を出す。次に神社の磐座にてお祭りをする。すがすがしい空気が漂う。

 

女性の方は、涙が流れてしかたがなかったという。2000年前後にこの磐座の前で大勢の巫女に囲まれながらお祭りの中心人物たる異次元のお姫様の涙である。

 

以前は岩に封じられていたが、3年前に開放され天上界へあがられた。そして、その後のお祭りのときには、いつも御降臨される一族の長としての姫であられる。今回もこの姫様が御降臨なされた。

 

 

三十八神社は、お山そのものが神体山であり、お山と磐座から発せられるマイナスエネルギーは、伊勢神宮に匹敵する。真の霊能者、神能力者なら、このあたりの消息がよく判るはずだ。ここに1時間もいると非常に元気になる。魂の活性化される処だ。

 

次に伊勢外宮へと車が走る。外宮到着は10時過ぎとなる。震災の影響かお参りする方が大変多い。外宮の正殿は黒山のような人だ。ゆえに、そこをさけて多賀の宮へ行く。そこも多くの参拝者がいた。道の横で祈りにはいる。数分で終了となる。次に車は内宮へと走る。

 

外宮から内宮への道は、伊勢バイパスの手前から車が動かなくなる。正月と同じような込み具合である。やっとこさで猿田彦神社の前まで行く。32号線は込みすぎるので、右折しようとしたが、その道が警察により、一般車は通行止めとなる。しかしタクシーはOKである。しかたなく32号線を進んで、近くの駐車場に入れかけたが、そこも満車なので、起点をきかせ朝熊山へと車が走る。

 

本日の神行のメインは、三十八神社と朝熊山である。何事も順序が大事なので、上に確認しながらコースを変更した。

 

朝熊山もたくさんの人である。運よくお祭りができた。ここでも女性の方は神がかりし、お言葉を出された。その他、いろんな体験もあるがここで省く。

 

山頂から内宮へと車が走る。内宮より約900m手前の公園の駐車場へ入れる。1台千円である。この公園は財務省管轄であり、伊勢市へ無料でかしだされているのに、なんで駐車料金をとるのであろうか。ただ広いグランドのような駐車場には、7、8人の若い男女の交通整理員がおられた。

 

そこで、車を置き、てくてくと歩く。橋を渡りおかげ横丁から内宮にいる。横丁も大勢の人でごったがえしている。震災の影響でお参りが多いのだろうか。ここへくる途中、石川、神奈川、久留米、岩手などの自動車ナンバーが目に入った。

 

内宮の手前につくと、そこでも大勢の参拝客だ。横から入り、内宮の御垣内にいるため手続きをとった後、社務所の横で禰宜の塩による祓いをうけた後、内へと進む。3年前の250人の参拝で、禰宜の祓いがなっていないと、誰か?がイチャモンを付けたので、お祓いもお塩だけになってしまったのか。これは、余談である。

 

 

御垣内で、私が中心に立ち、2礼2拍手一拝の作法をとり、深く深く頭を下げる。その時、ま正面からすずしい霊風が吹いてきた。5人ともそれがわかったらしい。

 

内宮から荒祭りの宮に行き参拝する。そこでも大勢の人である。本殿の横で5人で祈る。帰りは伊勢道、名阪道を通って奈良に着く。

 

夜の7時半頃となる。

 

大きな大きな震災があれば、日本人の神への思いが噴出されてくるのであろうか。伊勢の5月4日は、正月のような人々の参詣であり、それは、魂の底(深層意識)から吹き上げてくるものがあるのであろうか。この時代に共に生きる日本人としての本質に一つ気づかされたようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一回目の学びの会が京都市北区にあるハルハウスにて実施された。京都の安田さんの声がけで集まられた11名の方々が参加された。

 

主に、私の体験を基にした古神道の世界を語る。その中の一つに過去世の紐解き方解き方を入れた。誕生日、生まれた場所、宗教、信仰等々を一つのキーワードにして話す。この課題に関しては、まだまだ、私自身が深めなければならない。

 

自分のエネルギーフィ―ルドの中に過去世の記憶が存在するので、私の人と異なっている生い立ちを土台にして、約2時間ばかり古神道の世界を語った。次回は、5月24日(火)の午後1時から同じ場所であるが、さらにこれを深めていく。

 

 

ハルハウス代表の丹羽さんから、船岡山に「玄武の神様」が祭られているのではないかということで、学びの会当日に、船岡山に登った。その目的は玄武神社を探し、玄武の神様に会の報告するためである。

お山に登ると織田信長公が祭られている建勲神社があった。お祭りをしようと神社の正面に行き、準備していると突然、ある人がやってきて「何してるんですか。こんなところで。罰が当たるからやめよ」とえらい剣幕で怒ってきた。どの神社へ行っても、ろうそくを灯して火打石を打って祓い祝詞奏上をするのに、今回は初めてそれを止められた。

 

こちらも「罰なんかは当たるわけがありません」とこちらも返答し、一応謝って神社を後にした。かってこの神社で務められた大本教の出口聖師であるならば、初めての参拝者に対して、その目的も聞かず、こんなばかなことは言わないであろう。頭越しに怒鳴ってくるとは、一体何事であろうか?

 

 

このような現象を前にして私も船岡山について大いに考えさせらた。ハルハウスがある地域の産土の神様は、玄武の神様ではないのかどうかということである。もし船岡山に平安京を作るにあたって玄武の神様が祭られている玄武神社と称するものがお山の頂上になく、そこに豊臣秀吉創建の建勲神社があるというこの事実をどう理解すればいいのかという命題が、目の前に現れた。

 

 

この船岡山を中心にして平安京の大極殿が出き、かつ南に朱雀門が創建されたというならば時の朝廷は、船岡山の頂上に玄武神社を建てられていたはずである。ここには、西軍の陣地が築かれていたという神社の記述からすれば、それ以前の戦いの中、玄武神社が消滅してしまったのであろうか。

 

 

等々のことを考えながら船岡山の西に車を置いて山の中に入った。安田さんに会場到着は1時過ぎになるかもしれないと連絡し、お祭りの場所をお山の道の横に定めてお祭りを実施した。それによるとやはり、船岡山の祭神は玄武の神様であるということが判明した。本来は、此の山の上に玄武神社がなければならないのである。頂上にそれがないということはどういうことであろうか?

 

 

ただ、信長公の御先祖というか、ご本人というかその流れは神道系であるらしい。だから、お山の上に建勲神社創建が許されたのであろうか。いずれ「学びの会」が進んでくればわかってくるのかもしれない。

 

平安京建立のため京田辺市の甘南備山から船岡山に向かって測量がなされたと、かって、どこかの大学の総長さんがある新聞に、掲載されていた時がある。10年以上も前なので、その内容はよく覚えていない。平安京を作るのにあたって、かなりの技術を持つ技術集団と未来設計ができる陰陽師達の共同作業として平安京が作られたのであろうか。

 

 

震災に遭われた東北地方の都市再建にあたり、平安京と平安京都市づくりの叡智が生かされないのかと、我々の素晴らしき御先祖の叡智の世界を、船岡山で時間もない中、わずか5分余りの簡単なお祭りとセミナー実施により、様々な因果関係が少し見せられた思いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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