2011年2月アーカイブ

昨年の3月24日京都から徳島、 徳島から高知へ車を飛ばし、高知にて開催の龍馬祭を見て廻った。高知駅の正面には臨時に龍馬関係の展示館が作られていた。3月24日は龍馬が脱藩したその日であり、彼は坂本家の産土神社である和霊神社に参拝した後、脱藩した。3月24日が龍馬脱藩の日とは知らなかった。展示館で知った。

 

龍馬にとって3月24日とは、明治維新成就の第一歩の日と考えることができる。龍馬の生家の後は今病院となっている。その近くに記念館が2つもある。記念館では、町田虎一氏がいろんなことを教えてくれた。

 

坂本家の5、6代前の御先祖は、滋賀県から高知に移られたという。とすれば、滋賀の坂本家は近江源氏の流れをくむかもしれない。プラスと-マイナスの相反するエネルギーを1つにまとめて、明治維新を成し遂げる大きなエネルギーとなった龍馬その人の御先祖には、かなりの人物がおられたのに違いない。時間があれば探究すればよい。

 

第二国会図書館で、「明治立憲制へのあゆみ名士の筆跡をたどって」という展示会があった。最終日の昨年の12月25日午前中に見に行った。そこには、坂本龍馬、岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文ら近代国家形成に大きな役割を果たした人物たちの、自筆書簡等11点が紹介されていた。

 

 

興味をひいた展示物を書く。

1つは、「新政府綱領八策」と龍馬が陸奥宗光にあてた書簡更に植木枝盛の書かれた「東洋大日本国々憲案」の3つだった。他にも日本国憲案、第一次草案などがある。龍馬の文字は、なかなかの達筆であり、角が丸文字に近い。

 

新政府綱領八策

 

第一義

天下有名の人材を招致し、顧問に備ふ

第二義

有材の諸侯を撰用し朝廷の官爵を賜ひ、現今有名無実の官を除く

第3義

外国の交際を議定す

第4義

律令を撰し、新に無窮の大典を定む

第5義

上下議政所

第6義

海陸軍局

第7義

親兵

第8義

皇国今日の金銀物価を外国と平均す

但し書き2行あり

慶応丁卯11月  坂本直柔

 

さっと書いたので、間違っているかもしれないが、日本国を外国から守り独立国にし、民の安定を願う。そういう心意気が脈々と、その文字から感じられた。直柔とは、龍馬の事だ。

 

第2義の中で有名無実の官を除く。 これは今でいえば民主党のマニュフェストの実行である。この当時も天下りなど有名無実の官・省で働く国家公務員が沢山いたのだろう。第5義の中、 定義義政所とあるが、今でいう衆議院、参議院ということなのだろうか。

 

とにかく、英語で書かれた日本国憲法の和訳で国を運営するのではなく、今後の日本人が自国の文化と伝統を基にして、作りあげる憲法草案の大事なたたき台がここにある。そうすれば、龍馬の意思が生かされるであろう。

 

我々の御先祖が残された「国生み国造り」の原理原則を日本国の国運を強めるためいかに活用するかは我々の自由であるが。

 

次に目を引いたのは、「植木枝盛」が書かれた東洋大日本国懸案だ。この時代に、世界に通用するような憲法草案を書かれた方がおられるとは素晴らしきことである。この草案は、人々の自由権利の義務と保障を中核に据えている。

 

又、軍事と外交の総裁として皇帝を位置づけている。さらに立法権を全国民に属するものとし、国会中心の政治体制を提案している。

 

又、地方自治を尊重してアメリカやスイスにならって連邦制国家構想が示されている。日本人が日本人による日本人のための新しい憲法を創るうえでの1つの指針となるであろう。

 

坂本龍馬書簡・陸奥宗光宛ての中には、亀山社中がそのまま海援隊となり、龍馬と陸奥宗光は文久3年に知り合ったという。陸奥宗光は龍馬と同じ勝海舟の海軍軸に入り、さらに亀山社中・海援隊に加わり、その所載は、秀でていたらしい。陸奥は、おでこの大変広い、鼻筋が通り耳が大きい細長い顔をしている。

 

昨日のTVで菅政権閣僚の賃金カットは5千円であるという。これでは、消費税10%が無駄になる。亀山社中の、海援隊の月給、賃金は船長も技士も船のデッキ洗いの船員もすべて同じであるという。お金に対しても、こういう精神だからこそ、世界に誇れる改革、革命である江戸城無欠明け渡しが成就したのであろう。その国を支えた人はである。

 

左のエネルギーと右のエネルギー、即ち2つの異なるエネルギーを1つにまとめ上げ、陰でも陽でもなく、さらに陰でも陽でもあり、その2つのエネルギーを使って大きく前進させる。そのような命がけで事を成した人物が、江戸末期にはたくさんいたのであろう。

 

その共通の土台は、日本国家の為に己の命をかけ、日本を守るという覚悟そのものであろう。まずは、龍馬に見習って、平成の現今の有名無実の官・省をすべて取り払ったらどうか。その心は、日本国家そのものと自分の命のつながりをいかに把握しているかにかかっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月30日情報推命学で春日大社と三十八神社を参拝した。京都駅、朝7時15分集合。64名の集団である。バスの中でK先生が、半紙3枚に書かれたお言葉をスタッフから頂く。半紙3枚頂いて、半紙を広げた瞬間その上に青白い光が走った。以外だった。家では時折、様々な光を見るが、文字を開けて光を見たのはこれが初めてであった。

 

1枚目 天地の玄気をうけて福寿光無量

2枚目 神火清明 神水清明 神風清明 神心清明 

3枚目 未完の過去を許して神となる。

 

7時40分過ぎに京都駅を出発し、9時前には春日大社につく。東京からこられる参拝者を待つ。

バスの中から朝日を見ると、たなびく雲の一番外側の方の雲が緑色になっていたので、みんな、わいわい言いながらシャッターを押した。

 

赤・ 橙 ・緑の3色に染まるたなびく雲を意識して見たのはこれが初めてだ。これから何かが始まる前兆なのであろう。科学的に言うと、太陽光線の7色の色のうち、地球に一番強く働きかける色は、赤でもなく橙でもない。その色は緑だという。だから、木々が、回りの自然界が、緑色となる。

 

 

京都の山科で神道教室を開いていた時に、太陽をみると緑色に見える女性がおられた。特殊な感覚を持っていた女性であるが、ミタマの浄化に関してはまだまだである。

 

30歳から35歳までの5年間は、南朝のミタマ達の浄化行をよくやらされた時期がある。全国各地あちこちよくまわった。その時、奈良東吉野・賀名生の学校の上の高台(お山)にある南朝の重臣・北畠親房のお墓の前でも、よくお祭りをした時期がある。その時、ご縁で南朝・堀家の人と知り合いとなり、南北朝時代の日の丸即ち日本における一番古い国旗を見せて頂いた。

 

その日の丸の色は、白地に赤ではない。白地に赤丸ではなく、緑丸であった。私は不思議に思った。なんで太陽を緑色に描くのか、描かれたのかと不思議に思った。昨年から1秒間に一兆回振動し、その光と熱のエネルギーによって、ガン細胞を消滅させる「テラ鉱石」について学んでいた。その時に、電磁波研究の科学者がそう語っていた。

 

 

情報推命学の一向は、正月は毎年伊勢神宮に参拝されるらしいが、今年は伊勢神界の言よさしにより、春日大社参拝になったという。緑の雲がでたことは、向こうサイドからの啓示現象なのである。全員集合の後、祓い戸神社の前で浄化行をした後、すぐ春日若宮に行き、そこで参拝行となる。道中にはかわいいメスの鹿が沢山いた。

 

次に若宮の横のそれぞれの御宮で4班に分かれ、一人一人玉ぐしを捧げて祈願した。その後、南北朝時代に御醍醐天皇が御鏡を奉斎された金竜神社の参拝となった。K先生の奥様が神殿正面にて神がかりをされ、直接あるお言葉を出された。金竜神社は今回で2回目である。1回目参拝は3、4年前、春日講に関係のある神社の宮司と氏子さん達で参拝した時である。

 

神社のすぐ下に、後醍醐天皇の碑があった。その碑を取り囲んで石の杭が施されていた。。そこには阿蘇宮司家一統などという南朝に関係の深い神社名が掘り込まれていたのでびっくり仰天した。いよいよ、時期到来、日本の国産み、国造りのために、南朝のミタマ達の働きが活発になるのか・・・・・・。

 

 

場面は変わり、春日若宮の横のよこにある三十八所神社の鳥居の道横には、足跡が鳥居に向かってまず1つ、その一歩後ろに3つあった。「なんでこんな道に、天気もいい日なのに、足跡がつくのだろう」と思いながら、近くを歩いた。昨日、先生の奥様に聞くと「三十八所神社に行きたくなり、率先してそこでお祭りをされた」らしい。私は、別の班だから、その様子はみていないので、なんともいえない。

 

60名あまりを4班に分けたのだから、1つの班は約15名、少なくとも足跡がつくのであれば、30の足跡がつかねばならない。それが4足とはどういうことであろうか。後から聞くと、三十八所神社鳥居前の道の一番近くに大きな半紙をおき、その上に奥様がのられたらしい。さらにその後ろに同じような大きい半紙をおき、3人がその上にのられたという。

 

その足跡がくっきり大地についたという。昨日、奥様から直接伺ったが、情報推命学の神社参拝においては、大きな半紙の上にのることは毎回だという。今回大地に足跡がつき、そう言う事は初めてであると。その話を聞いて私は、何らかのメッセージが次に控える三十八神社参拝との関係性を強く直感した。それが昨日のこと。再認識をした。写真があれば、いいのだが。

 

三十八所神社の前では、一向が4つの足跡を見て、わいわいと言っていた。私はその時から、加茂の三十八神社とこの足跡はなにか関係があると直感していた。「これは調べなければ」と思い、三十八所神社の鳥居に向かって、反対側の道の一番奥に立ち統一にかかると、鳥居の近くにおられるMさんから声がかかった。

 

「東さん何してるの・・・」ということでその旨は流れてしまった。春日本殿と春日若宮と三十八所神社は、春日の宮司さんしかお祭りの司はできないという。権宮司はできないという。これは、3殿に限ってである。

 

この話は、以前直接、大社に務める禰宜さんから伺った事だ。理由は解らないという。私なりに調べたことがある。明治の始めまで、春日大社近くの町に大きな阿波神社があり、明治7年?に火事で本殿と宝物が全て焼かれ喪失したという。三十八神社は、阿波に関係が深いから、この火事と何か関係がありそうだ。焼かれた阿波神社の神様は、今、卒川神社の境内にある。小さな祠となっている。

 

神ごとはチャンスが二度もない。どんな時も真剣にやらなければならない。相手の声によって崩れるような統一は、たいしたものではないが、その時は、周囲が気になった。不思議にもその回答は、春日大社の参拝がおわり、東大寺を見学した後、ホテルの直会の席でk先生が語られた。

 

席上では、これから参拝される三十八神社について私が説明し、かつK先生から春日大社及び三十八神社参拝の理由について説明が為された。

 

その中に回答を見た。この文章を書くまで、「足跡の説明」は、先生の語られたお言葉の中にあるとはおもわなかった。書きながらわかったことである。直会の席で私が記録した先生言葉の紙を探しまくったが、でてこない。ここには、お言葉どおりには書けないが、記憶を辿り纏める。

 

1 .三十八神社とは、たくさんの神々がおられるということ。

2. 天照大御神が岩戸にはいった時、タジカラオの神様、アメノコヤネの神様、 アメノウズメの神様達の祭りと力により、岩戸が開かれ、天照の光が世を照らすことになったこと。

3 .岩戸を開けるためには、様々な力がいる。今回は、三十八神社で東宮司さんが大きな榊を持ってお祓いをされる。それが1つの働きになりますから・・・・・・

 

私はびっくりした。普段のお祓いに使う3倍ものおおきな榊の祓い串を、昨日用意し、すでにバケツの中に榊を入れて鳥居の横に置いていた。直会の席で先生に語った。「私の身長より長い榊を用意しました」と。直会が終り三十八神社に出発した。バスを降り、神社まで1キロの道を歩いて参拝した。三十八神社の祭りが終わった。6時頃全員バスに帰った。寒かった。

 

三十八神社に於ける素晴らしかった祭事は、次回掲載します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、2つの出来事があった。1つは、1996年に亡くなられた作家「司馬遼太郎氏の命日」である。もう1つは、京都伏見の竜馬通にある「情報推命学教室」での「神と数の物語」、易学スピードコース13期生学びの開校日であった。情報推命学とのご縁は、昨年の8月1日、京都「ひとまち交流館」で開催された情報推命学の講演会をはじめの日とする。それから時々、情報推命学を学びに伏見に行き、今回本格的に学ぶことになった。

 

最近私は、四柱推命と神法を駆使して、人間世界におけるほとんどの問題の原因となるものを紐解くことができるし、かつて様々な先生方について学び、今、人間界では学ぶ師がいないかに見えた。即ち人生の師たる人がいなくなり、その結果、逆にあらゆる出来事を自身の師としてとらえることができるようになっていた。その状態が4、5年間続いた。この状態で私は、命終に臨むまで、人間界を去ると思われたが、指導される異次元の計らいで、上には上がおられる事がよく判った。

 

そこに指導神の意思、宇宙の意思を感じ取ることができた。本日は、午前9時から昼休みを挟んで午後5時30分まで情報推命学の講義が行われた。13期生終了日の5月末日まで続くこととなる。今回の担当講師は、K先生の弟子と思われるMさん・Tさん・Kさん・MAさんの4人である。

 

4人の講師から「神はことばなり」「神は創造なり」「神は数なり」の命題の中、エナジー数霊1・2(神と数の物語)を学ぶことになった。午前中の休み時間に、休んでいる私のところに、K先生の奥様(この方は神がかりをされる。主に自感法と他感法の神がかりである。神社・磐座の祭事中、神様が降りられると倒れることがあるので、たえず2、3人の側近が祭事中いつも守っている。澄みきった眼をされており、K先生と同様素晴らしい方である。)が来られた。

 

三十八神社のことについて聞かれた。今年、1月30日に春日大社を、一向64名バス2台で参拝された後、夕方、三十八神社にも参拝された。もちろん私も参加した。三十八神社の神様の意向にそっての参拝となった。言葉では表しきれないお祭りとなった。この件もいずれ詳しく書きたい。奥様と話していると次の講義の開始時間となったので話が中断した。

 

M講師の1時間余りの講義が始まった。その途中、私の眼前の空中に突然1点の光が走り、すぐに消えた、こういう現象が2回あった。1回目は、「空間の中に光あり・・・・・・」と説明された時だった。もう1回はノートに書いていないから解らない。さらに、T講師の2時間あまりの講義の中にも同じような現象がこれも2度あった。そのうちの1度は、エナジー2の解説の折、富士山の話が出たとたんであった。眼前の空間に青く、又白い光が一瞬走った。

 

さあ、これらの光の出現は、いかなるものであろうか。空間は、空間に非ず。眼に見えないエネルギー空間の連続世界である。共振現象を起こせば判らぬことではない。こうして様々なメッセージを受けて第1日目が終わった。次回は来週だ。

 

 

東大阪市にある司馬遼太郎記念館には、故人の大変好きだった菜の花【(実話小説、高田屋嘉兵衛の菜の花の沖)私の神霊写真に出ている墓参り】を飾り、来館者にも配られたという。(京都新聞2月12日号)司馬遼太郎記念館を訪れたのは、2年前の11月の初め。会館には、故人の図書6万冊の中4万冊(再度新しいものをそろえる)が展示されていた。若き日の司馬氏のDVDを見る部屋もあった。図書館地下1階から高い天井をみると、「坂本竜馬の影絵がみられる」というので私も見にいった。天井にありありと竜馬らしい影絵が写っていた。この影絵は新聞にものり、又TYのニュースにもちらっとでた。

 

その影絵は、ほんものかどうか調べると、竜馬の影絵であるという。司馬遼太郎氏と坂本竜馬と明治天皇との3者には、何らかの関係がみられる。三者ともども、今の日本の行き先を憂いているにちがいない。その解決方法は国運を挙げること。一人一人が、自己の役割(ミコトモチ)に目覚めること。即ち、日蓮聖人にみられる愛国心と人間革命。さらにK先生が解かれる【未完の過去を許して神となる】と語られる言葉の領域まで、「人間の霊性と神性」向上が大きな鍵となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月28日、50日祭を頼まれ、大阪に出張した。人間が誕生し、誕生祭を行う。その対極、この世の生と役割(ミッション)を終え、50日祭を迎え、その人の意識レベルによりミタマは、幽界、霊界、天界、仏界、神界へと誕生する。その前に仏教では7日7日の法要(49日)を繰り返しす。神道では50日祭の前後で、次なる世界へ旅立つ。

 

故人に、よほどの使命がなければ、死後50日ぐらいはこの世(お家)に留まるケースが多い。ウロチョロされる例外も最近は多い。今回の方は、95歳という高齢であられる。私が調べると、すでにその方の意識は光っていたので、別に50日祭をする必要がないと思われた。しかし、家族にとっては50日祭でお別れの式典である。大きな人生のひと区切りの式である。

 

故人の霊前に座し、音玉と榊で回りを清め参列者をも清める。50日祭の祝詞とさらに言霊を奏上し、その光を故人の意識に投げかけていく。

 

このお家は代々神道であり、その家紋は、藤丸の中に左三つ巴の紋が入っている。即ち藤原家、中臣家の系統をひく家柄である。さすが、天皇家を支えてこられた一族である。ご家族の中に特殊な感覚を持たれている方がおられ、その方の話によると、お祭り中に、故人の写真が入った額そのものが銀色光に包まれ、胸が熱くなったという。さらに「これでよし」との思いがこみ上げてきたという。

 

さすがである。わかる人はわかるものなのか、故人の浄化、昇天に関しては、その方の意識は銀色光に包まれ、昇天する。この光景が明確に見える人は初めてであった。私の言霊昇天法は、銀色光を使うというか、そういう光がでるのである。テラ鉱石が放つ石の光と同じ色彩だ。今回は、祝詞奏上中、祝詞の流れがスムーズで喜びさえもあった。

 

成仏していない不浄霊そのものの50日祭に対して、私が祭事を行う場合、いろいろな現象がこちらに出る。声がでにくかったり、出ても咳き込んだり、ひどい時は連続して咳き込むことがある。しかし、この状態をクリアーしなければ相手が昇天成仏しないので、こちらもそれに耐えながら、」母音の波動を使って不浄霊の意識を言霊の波動で包み込んでいく。その時、ご家族の好ましい意識状況も加わると昇天の時間が大変早くなる。

 

故人は、肉体の衣を脱げば、蚕がまゆを栗やぶって蝶となり大空に飛び立つごとく、故人の意識も肉体の繭を食い破り、昇天するという現実が個々に存在する。妙好人といわれる念仏者は、この世の修行において、その人の意識がすでに無量寿・無量光なる阿弥陀仏の光のなかに合体し、そのまま極楽浄土に生れるするという現実もある。

 

浄土は、様々な光で織りなされている世界の一つである。父方の祖父は、まさにそのような浄土往生の体験者である。私も大学時代に10日間ぶっ通しで、お念仏申し上げ、浄土の光を、この身で見たことがある。その場所は、奈良・飛鳥の松岡さん(光明会)のお寺であった。秋であった。機会があれば、後で詳しく語る。

 

この方の場合は、先祖代々古神道の優れた家系であるがゆえに、その影響も受け、50日祭後すぐ神界に行かれた。そして、分身現象を起こして子孫を守る側につかれている。とにかく大変めでたい50日祭であった。

 

今朝、6チャンネルで鳥越俊太郎氏がクリント・イーストウッドに会いにアメリカへ行き、その対談の様子が映し出された。

 

鳥  「あなた自身は死を恐れていますか。」

ク  「いいえ」

鳥    「なぜですか」

ク    [理由はないが、人生は生きて横臥しなければなりません。人生においてすべてをやりつくすことはできないが、大体のことはやってきた。私達がなんのために生きているのか、私たちはしらない。だからベストをつくすだけだ。」  

 

15分間のクリントイーストウッドとの対談のためにのみ渡米した鳥越氏 そこから学ぶことは、「志を果たす」行動力だ。2人合わせて150歳。4回大腸ガン手術をされ、「無敵バッチ」を胸につけ、ガンも敵ではないと語っていた鳥越氏の姿が印象的だった。

 

もうすぐ、ヒア・アフターという映画がやってくる。交通事故で兄を亡くした人、臨死体験をした人、死後の世界をかいま見ることが出来る人、この3者の織りなす人間模様がみどころと言う事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

志を同じくするIさんから三十八神社へ参拝したいという連絡を受けた。1月21日(金)に決定する。当日の朝JR木津駅に迎えに行く。

 

2人で三十八神社を参拝する。海神社と磐座の神社にてお祭りをする。Iさん曰く「すごい岩だ!ほっておくともったいない。祭りの途中からずっと頭が下がりっぱなしになった。不思議な感覚を持つ」と。彼は、祝詞が終わるまで頭が下がりっぱなしになったらしい。その後、彼が自由に、磐座の前で独自の祝詞をあげる。0音を12回腹の底から奏上するという特殊な祝詞である。

 

磐座から第一の鳥居のところまで歩いて、その前で参拝のお礼を言った後、彼は「本殿へも行きたい」と語る。「ご自由にどうぞ」と言うことで、後、彼は本殿で祝詞奏上をなされた。

 

三十八神社の神庭は、現界と神界をつなぐ異空間的な場所がある。お祭りによって「向こうの設計図」をこちらにおろすことが出来る不思議な時空の場である。その方法論としては、言霊が唯一の鍵となる。

 

三十八神社では、2000年から4000年の昔、ここで祭事が執り行われていた。古代の大王家の人々は、磐座に神を祭ることによって高次元世界と交流ができた。ここで未来の設計図(三次元以上)を異次元からおろし、産土の神、国魂の神、一族の神に祈ることによって天のエネルギーを地に降ろすことができた。

 

三十八神社とはそういう場である。ここに1時間もいると非常に元気になる。指がつるーっとすべるような感覚になってくる。肌に神社の神気が反応してつるつるとすべるような感覚になるのだ。手で顔をさわったり、指と指とをするあわせるとすぐわかる。

 

世界的にみると、人々が磐座に神を祭り、神をおろし、神に祈るというのは約13000年ほど前からだと言われている。ここでもそのぐらいの昔からお祭りがなされていたのかもわからない。

 

本殿の上には、海神社あり。この神社からは「海の神気」を頂くことが出来る。山で海のお祭りが出来る。磐座には、大きい7つの磐座にそれぞれの神様がおわします。そして、磐座の下の池には、「耳の病」に霊験を持つ「耳成し龍神大神」がおられる。今、ベトナムにおられる日本人の柿さんは、遠隔治療に、この耳成し龍神大神のエネルギーを使われており、自分の耳を治すのに役立っているらしい。

 

聖地(産土神社)は、その村、町の中心にあたる。人間に譬えるならば、頭となる。だから、世界の中でも、霊性の高い日本人は、昔から神社参拝が盛んなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2/7(月) この日は母の誕生日だった。 朝4:30分に目が覚める。夜が遅かったのでもう一度寝た。次は、7時30分頃目が覚めた。突然小沢さんの波動が「ぱっ」と浮かんできた。浮かび上がった。このような現象映像がでてくるのは初めてであった。鼻をかむと鼻血が出だした。ちり紙で10回ほど鼻血をふきとった。

 

この理由を調べようと思ったがあまり気がすすまなかったのでほっといた。それ以後は時々この波動が来ている。かって小沢さんと菅さんの四柱推命を書いているのでその影響とも考えられた。

 

国会中継をTVで見た。菅首相と4議員(茂木・田中・棚橋・小泉)との問答を聞かせて頂いた。「5つのマニフェストが守られていない」と言う全て民主党マニフェストへの集中質疑だった。特にそのなかでも、棚橋議員はぼろくそに菅首相を攻撃していたが、自民党は民主党を責める資格はないのではないのかと。戦後60年もの長きに渡り、アメリカに遠慮しながら、日本を導かれたのは何党なのかと。

 

 

国民のために政治家が一致団結して第5の国難?を解決しなければならないのにもかかわらず、そのような波動は、国会中継からは微塵もかんじられなかった。かって前野徹さんが書かれた「第4の国難」という名著がある。この日本国をいかに運営し、経営していくべきかという大筋の設計図が書かれている本である。しかし今は、第4の国難を通り越し第5の国難に向かっているのではないか。

 

1年半前、民主党は勤皇派であり、幕府を倒し、新しい政治形態に移行できる唯一の政党であると大いに期待していたのであるが、こと半ばにし、アメリカの影響(副島隆彦説)を裏で受けてか、その志が破れてしまった感がある。真に残念である。民主党もこれで、幕府側になってしまった。次なることの順序として今後は、国会議員、地方議員のなかで第3の勢力としての勤皇派が表れてこなければ、司馬遼太郎氏が語るように「日本丸は沈没する」ということが、全て現実可能になってくる。

 

此のままで流れると、領土問題、水資源問題、海洋資源問題などにからめてアメリカ、ロシア、中国、韓国の内政干渉の、力による日本国への攻撃から身を守ることも出来なくなる。現日本がおかれている立場と、幕末動乱時の2つの時の流れは、重層立体的に重なっていく。

 

天皇にかわって日本丸のかじ取りをする政治家たちが、一致団結して国難にあたらなければ日本はいったいどうなるというのか。庶民、国民では、一家あるいは一企業を守り発展させるのが精一杯である。死にものぐるいになっても、日本国家を敵から守り動かせることは庶民にはできないのである。

 

 

日本国が崩壊するということは、まずは歴史の崩壊(戦後60年でこれは達成済)次に、日本人の心の崩壊(これも政治の様子、教育、親子関係等をみるならば、まさに達成されようとしている。)その次にくるのが日本経済の崩壊である。

 

これらを打開し、浄化し、新生さすためには、少なくとも次の自覚と実践が一人一人に必要になってくる。自分自身(私)が、なぜこの時代に、日本人として日本国に生れてきたのか、生れさせられたのか、生れさせていただいたのか・・・・・・

 

この時代に、日本人として生まれてきた(わざわざ)その理由は、自己が果たさなければならない役割とはなんなのか。一人一人の過去世から培ってきたエネルギーを爆発せしめるには、どのような人生を送らねばならないのか。今は、この国始まって以来日本崩壊という危機を、チャンスとして、自己及び一族の宿命と運命を真剣に考えなければならない時期到来と言えようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は亡き母(養母)の94回目の誕生日への報恩感謝の意味も込めて、過去世をひも解くミッションコードの解き方の一例(一合目)を捧げた。実の息子として育てて頂いた母への感謝に報いるためにも、私としては、人間解放というべきか、人間の憂い悲苦悩から解放させる実践、そしてその方法論をさらに磨かねばならないとつくづく感じた。

 

自己の過去世を、ほんの少しでもひも解くことができると、時間の流れをさかのぼることが出来る。そこから様々な知恵をこの世にもたらすことが可能となる。歴史を学び、根源を知ることもその一つである。

 

さらに、自己の生の深層を知ることにおいて、智は力となり、知っただけ、その人の人生は、大きく大きく安定し、善き方向へと変化する。その裏には、一族の中に於いて、その人を守る守護霊、さらに進んで、守護神が対応する。

 

仏教の智慧を借りるならば、仏教は、人生の目的を「四弘誓願」としてこう解く。

 

「人身うけがたし、今すでにうく。仏法(宇宙の理法)聞き難し、いま既に聞く。この身、今生において、度せずんば、いずれの生においてか、この身を度せん」

 

これを根底にして、少しわかりやすく説明をするとこうなる。

 

1.肉体を持っている間に肉体が死んでも死なない、自分自身を発見すること。

2.一族(人間)の発展と繁栄を常に願うこと。

3.自分の生命を燃焼させ、自己の内なる神(宇宙)を求め続けること。

4.その自己表現の場が、自己の肉体であり、家族であり、一族であり、日本であり宇宙であると。

 

1.2.3.4.を小・中・高の各学校で、児童生徒の体と心の発達段階に応じて、具体的なカリキュラムを創り、実践するならば、お金では、決して動かない人間が増え、自殺者も零となり、犯罪も激減するであろう。

 

昨年の3月から私は、叔父(母方)、亡き父、祖父(母方)、曾祖父(母方)の影響を受け、真言密教を叔父から学ぶことになった。還暦を過ぎて、不思議な廻り合わせの時期がやってきた。もっと早く、大学時代に、これらのことが解っていたら、確実に人生の方向が変わっていたと思うと歯ぎしりもしたくなる。

 

この4方は、手前味噌にもなるが、いずれも、真言宗僧侶として活躍された。祖父の葬儀は、一塊のお寺の僧侶にも拘らず、日和佐町の町葬で執り行われた。曾祖父は、密教大辞典に「禅定」として名を連ねている。さあ、ここから一つの私の過去世が導きされるのだ。

 

理由のない、原因のない出来事は、人間世界には、一つもないのである。ただ、解らないだけ、気ずかないだけであるが、それには、時期がある。時期は、向こうサイドから訪れる。そっと。ひっそりと。忍び足で。そう、そう、その人の過去世が大きく絡むのだ。

 

親の因果は、子に廻り、子の因果は、孫に廻り、御先祖の因果は、良いものも悪いものも全て一族に受け継がれる。

 

日本民族は、世界を開放する天命を持っている。だから、主語が弱い言霊となる。一族が持つ使命に目覚め、己を捨てて、善き時代を作り上げねばならぬ。日本維新と言おうか、地球維新と言おうか、そうしなければ、日本が持たず、子孫が立たない。

 

起つことが出来ない。そういう時代の大きな激しい変化の真っただ中にいる今日である。国民不在の政治闘争、裁判闘争に明け暮れている暇は、ないのである。

 

人生の意義・意味を悟り、日本民族を、神(宇宙)から受けておられる天命成就の方向へと導かれる「モーゼ」のような人物が、この国に顕われるのは、いつの事であろうか。早く来い来いお正月。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月7日は、83歳で亡くなった養母の誕生日だ。実母は、40歳で私を産み、その二日後の10月24日に息を引き取った。出羽島という小さな島の真言宗の本堂の横の四畳半で産まれた。

 

四国の南海の孤島である出羽島(この島には野口雨情の碑があり、世界で三か所しか生息所が見つかっていない藻の一種の「シラタマモ」が生息する)に産まれた。台風の時であり、そのため、船の出航が1日遅れた。島には医者がいなかった。台風が過ぎ去った翌日、本土から島へ渡った医者は、すぐ母にペニシリンを打ったがだめだったらしい。

 

お寺の檀家総代に養子に行くことが決まっていたらしいが、今年94歳の観音寺住職の叔父(東義照)が私を引き取った。観音寺で100日間育てられた後、叔父の同級生であり友達でもあった養母(東ヨシコ)に引き取られて、そこで大事に育てられた。

 

熊野東家は、御醍醐天皇に深い係りのある家系であるらしい。熊野西丹後の守からの分れだ。私で12代目である。初代(江戸時代)のみ名は「東 久太夫」、2代目は、「東 佐五八」という。3.5.8の聖なる数を跡取りに名づけた久太夫さんは、大きなひとつの石に「お不動さんと大日如来」を造り、東家の守り神とした。山の中にある一族の大きなお墓にある。

 

12代の中に養子が4人いる。その原因は、大きなお墓の供養がなされていないからだ。故に長男が立たないのだ。幼くして死んだり、長男がいても次男、三男が跡取りとなったりして、養子を迎えたりしながら、家系の流れを立てていかねばならなくなる。そういう流れを断ち切るため、私は、何十回と熊野の墓に行かされた。そして、様々な、出来事に会い、墓供養、先祖供養が、如何に一族の運命を左右しているかという、体験の元、その原理を悟らされたのである。    

 

誕生後100日目で早苗家から東家へ養子に行ったので、養母も実母と同じであるが、なぜ誕生時においてこのようなはからいがなされたのか、それが私が道を求める大きな原動力となった。

 

その理由がわかってしまえば簡単である。わかるまでは「大海に浮かぶ丸太に開いている大きな穴に、亀が空気を吸うために、海中から海面に上がり、丸太の穴の中に首を突っ込む」ということに、等しい位困難な問題であった。

 

この人生の謎究明は、「過去世」と「ミタマ」に関する時間の流れ{次元差}を把握しないと絶対理由がわからないし、その解明は人間次元では不可能だった。養母は実母より過去世の縁が濃い。私の過去世とミタマの縁を調べるキーワードは、こうだった。簡単に語る。

 

 

1.誕生日と出羽島と台風(設計図と過去世とミタマの系統)

2.養父の熊野東家と実父の阿波水軍の家老の家柄である早苗家との関係(ミタマと地縁)

3.29歳で亡くなった実兄(正之)の死が大きな引き金となり、京都の地に来て佛教大学に入学したこと(血縁と過去世の地縁}

 

1.2.3を纏め、求道のフィルターにかけて、様々な自己における過去世(何回もある)を調べていく。

 

これが過去世探しの旅の第一歩だ。

 

                                                                      続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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