2015年2月アーカイブ

第20回大阪神道同志会セミナー

 

旧事本紀大成経神代本紀中心でセミナーは今回20回目となる。それ以前は、大阪の森ノ宮神社で賀茂陰陽師のセミナーを続けていた。これも20回で終了となる。私にとって20回目とは何かを発展さす体制である。

 

20回目の内容

 

実践神道の言霊から入る。

 

1. 筋肉をほぐす運動

2. ア音の発声。口を大きく息を強く吐くとア音が自然的に発声する。50音のバックに自然界と言霊の神が働く。自然音声は感動詞を持つ。周国の神卸しは板を鳴らす遊舌である。小学生が運動会での踊り、鳴子踊りは神様を呼ぶ踊りである。

 

3. フトマニのア音。ウ音。ワ音。その中心がウ音である。この発声方法はホツマの時代より古いカタカムナ時代の発声方法であろうか。重点はいかに渦を起こすかということである。

4. 実践をしながら参加者9名全員で「ハ音の呼吸法」を実践する。その前にヒフミ祝詞を全員で5回奏上して「場のEG」を上げる。ハ音呼吸は素晴らしいし感動したとの直会時での参加者の言葉あり。これは虚空体(かみからだ)を把握する行法である。年齢に関係なく自己の虚空体を掴むことが出来る。午後7時から開始し、午後9時10分頃「虚空神の意識体」が降りて来られたらしい。私は解らない点もあるがその神伝えが為され終わったと云う。

 

5. 50音の音色を確かめる。前回の最後に「アイウエオ」の5母音の色を調べた。今回は残りの音色を調べる事に取り掛かった。時間がかかり過ぎるので一音一音の音色は省略した。次回持越しか。発生しながら各行列音総合の色を調べた。

 

6. ア行は眩しく広がりのある音色。カ行はオレンジ色。若緑色。暖色系。人形の様なEG。サ行は風棚引き流れる色。タ行は薄い白。コンクリートの様な色の波動系は四角形と云う。

7. ナ行は、茄の様な形と茄色か。

 

8. ハ行は、空に浮かぶ雲、空のイメージ。マ行は十二一重の色。ヤ行は戦闘、戦術、戦う、大勢の人、色は不明。

 

9. ラ行は、ア行に似る色。半母音の「ワ行は白」となる。

 

10.上記はまだサニワしていないが、多分その様な事であろうと推察する。

 

11.最後にア行の母音を其々5段階の倍音で私の音声でひねり出す。ひねり 出した色と形を記載する。サニワはまだである。

 

12.ア音はその形は円が重層である。色はア音と同じ.

 

13.イ音は後ろ後ろへ進み、人間の背中がだんだん大きくなっていくような感じ。ウ音は根が下に張って行く。下へ根が広がる波形。エ音はまっすぐ上昇する形。オ音は山の上に立つ感じ。ほら貝を吹く人あり。お使いの者が巻物を持って位の高いものに届けるという感じ。今現代の政局と繋がる。

 

 

 

 

簡単なまとめ

 

言霊の実験経験セミナーか。大きく大きく発声したので声が掠れる。

ア行の重層立体的な五母音の発声時における色層は今後の言霊の音色研究にとっての大きな課題である。母音―五、半母音―五、父韻―八、子音―三十二。合計50音。発声音は、その五倍の250音位の発声音が、人間界での人間が発声出来る音の限界か。

 

 

理論的には仮説として350音の音色が人間には出せるのではないか。ここら辺りになると訳が分からなくなる。だが真に言霊を追及せんとする言霊求道者にはその追及は重要な課題である。

 

 

様々な言霊の本ば出版されているが、50音の音色について書かれている書物は私が知る限り皆無である。50音・75音・88音の裏には虚空体虚空神・言霊神がましますのであろうか。

 

3月のセミナーは、50音発声の続きと大成経第一巻神代本紀を始めに帰って紐解く。場所、時間は同じ。今回と同じように個人指導もあり。

                              平成27年2月27日記

今日の午後1時半から井手町にて老人福祉センター(玉川の前)で「井手町の歴史を探る研究会」があった。参加者13人という小さな会である。参加者の大半は古老の人が多かった。

 

今回の発表者の宮本さんの勧めもあり初めてこの会に参加した。

井手町と私の縁は、佛教大学の修士課程修了後井手小学校の先生となる。5年生と6年生を担任したその時のPTAの会長が宮本さんであり、その子供を教えるはめになった。昭和49年の話である。宮本さんは町議5回、京都府神社氏子総代会の議長を3年務め、現在は井手町歴史を語る宣伝役を為されている。

 

ここ数年は、京都新聞に数回載り、梅原猛先生を軽トラックに載せて井手町を案内された町の名士である。

 

この世は全て原因結果の世界である。易では後天盤の世界だ。その奥に後天を成立せしめる原因の世界がある。易ではそれを先天・元極と名付ける。

宮本さんと私の付き合いは今生では、その長男の息子さんを通してである。その先天玄極は果たして如何なる縁であろうか。

 

 

その出会いを成立せしめるエネルギーは、先天玄極という「過去世の世界」が大きな比重で絡んでくる。一般常識から見れば雲をつかむような記憶のない世界を相手にしなければならない。相当手こづる困難な世界ではある。

 

 

では宮本さんと私との過去世の出会い・縁は・・・・・・である。故に縁が濃く、二人の関係は40年後の今も親しい付き合いがある。故にこの世の自己の生と過去世この二つの現象を結ぶのが地縁、即ち日本の大地のムスビだ。

 

 

故に人間は大地(日本国)を大切にすることによって、自分の人生を開く事が出来る。その延長線上に産土神社がある。人間がこの世に誕生するにあたりその産婆役が産土の神様である。

会が始まって直ぐ大阪の岡田さんから携帯に電話があった。贈呈した神代文字研究資料集1のお礼の電話である。このシンクロはどのような意味があろうか.

 

 

大変興味深い話をされる4、5人の古老の話の終り頃「井手町の噂(井手町商工会編)」の本を宮本さんから頂いた。さっと読んで見ると、その中に「康治2年(1143)の井手町の絵図」によると聖徳太子の御子山背大兄王子の邸宅が井手町の王山という場所にあったらしい。

 

 

約千年前の絵図と現在の地図を照らし合わせると井手町井手「尾ノ山」というよく似た呼び方の地名がある。

更に小倉百人集を纏めた藤原定家の家系である冷泉家の書物に「小野小町69歳にて井手寺にて死す」という文あり。井手寺は聖武天皇の左大臣で万葉集の第一の編者である橘諸兄により橘市の氏寺として建立された七堂伽藍の寺である。

 

 

古くは縄文時代に始まる井手町の歴史・・・奈良時代、この地に住み井手寺を建立した左大臣橘諸兄。井手寺で晩年過ごしたとされる平安の女流歌人の小野小町等は興味深い。

 

 

聖徳太子の一族は、政変に巻き込まれ一族皆殺しにされたと歴史に示されるが、井手町に郎党が逃げ延びた可能性がかなり高い。それは旧事本紀大成経を研究する者にとっては重大事項である。その課題は聖徳太子の一族と橘諸兄の関係の究明である。時空間はわずか200年。

 

 

聖徳太子研究者の本を読んでみてもこの点の追及が全くされてない現状である。今後の大きな課題である。王山のことは20年も昔に宮本さんからその地図を頂いて聞いていたが、その時は全く興味がなかった。是も大成経が導く一つの縁か。

 

 

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