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賀茂陰陽師・東豊栄

プロフィール

賀茂陰陽師 : 東 豊榮(ひがし とよさか)のプロフィール

・仏教大学文学部仏教学科卒業   <昭和46年卒業>

・仏教大学大学院文学研究科修士課程<昭和49年修了>  ・小、中学校教師歴31年

・京都南山城加茂の里 三十八神社宮司

・浄土宗知恩院派階位少僧都

・日本印度学仏教学会員 比較思想学会員 日本推理易学会員


阿波国(徳島県)の南海の孤島
(出羽島)の観榮寺(真言宗)に生れる。
実母は産後、翌日他界する。17才の時に、

実兄の死の影響を受け、肉体的苦痛で数回死にかける。
生長の家の御教えで一時的に救われる。

この問題解決のために故里の徳島より
京都の仏教大学文学部仏教学科に進学する。

卒業後、小学校、中学校の教師となり、
夏休みを利用して、霊山巡り、滝行
海行、古神道の修行に励む。

古神道の行法により人生上(人間界)の悩みを解く。
「昭和59年8月」に神霊写真展を開く。

京都四条のカメラのムツミ堂にて、全国初であり、
月刊ムー雑誌発行の数年前。。
中外日報に載る。
伊勢北畠神社宮崎宮司夫妻と芦屋小雁さんも来る。

学校退職後、人生相談所(石切一番館)を開設し、
悩める人々に光を与える人間救済行に励む。

母方の叔父に東 義照(大正6年生)
現真言宗大覚寺派大阿闍梨
(海亀で有名な徳島県美波町の観音寺住職)がいる。

かって叔父は、大覚寺の管長の依頼を受け
財務部長として6年間、生死をかけ、
大覚寺を根底から揺るがす財務問題解決の為奔走する。


6年後にはすい臓がんになり、徳島の自坊に帰る。
また阿含宗の生みの親である「大橋覚阿上人」を
自己に代わり本山(高野山)檀信徒会長に推薦する。
この出来事が阿含宗を大きくする原因となった。

昭和50年から56年の6年間でお寺の負債総額
30億~40億の借金をすべてチャラにした。
当時の「京都新聞」に大きく取り上げられた。

解決のため大物の政治家 後藤田正晴氏にも会い、

苦労に苦労を重ねた結果膵臓癌となる。

後、健康回復のため財務部長の職を辞め
美波町の観音寺で密教の修法にて
病を治した事は有名な話である。

四柱推命(年柱の星で本人の守護霊さえもわかる)
にて相談者の
この世における使命(天命)
を自覚して頂き、

生涯の人生上の設計図(ミッションコード)を
描きながら、
一族の運気を向上させていく道を
教え導くことが、私の75歳後の今生の仕事となる。